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福岡地方裁判所小倉支部 昭和47年(ヨ)103号 判決 1975年3月31日

申請人

A

外五名

(いづれも匿名)

右申請人ら訴訟代理人弁護士

美奈川成章

外一名

被申請人

財団法人小倉地区

労働者医療協会

右代表者

中西実之

右訴訟代理人弁護士

谷川宮太郎

外二名

主文

一  本件仮処分申請はいずれもこれを却下する。

二  申請費用は申請人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、申請の趣旨

1  申請人らが被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。

2  被申請人は、(1)昭和四七年二月二七日以降毎月二五日限り、申請人Aに金一八一、四七五円を、同Sに金一三一、八二五円を、同Nに金三四五、八〇〇円を、(2)昭和四七年七月一三日以降毎月二五日限り、申請人Tに金二〇六、〇〇五円を、同Kに金一八、四五〇円を、同Yに金一七五、〇〇〇円をそれぞれ支払え。

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張<以下略>

理由

第一申請人A、同T、同Yが昭和四五年九月一日に、同Kが同年一〇月一日に、同Nが同四六年四月一日に、同Sが同年六月一日に、それぞれ被申請人に雇傭され、以来被申請人の経営する三萩野病院の医師として勤務していたこと、被申請人が昭和四七年二月二六日に申請人A、同S、同Nに対し同日を以つて同申請人らとの各雇傭契約を解除する旨の、同年七月一三日に申請人T、同K、同Yに対し同日を以つて同申請人らの出勤を停止する旨の、同年八月一〇日に申請人T、同K、同Yに対し同日を以つて同申請人らとの各雇傭契約を解除する旨の、各意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二そこで、まず申請人A、同N、同Sに対する解雇(第一次解雇)の効力について判断する。

一解雇に至る経緯

当事者間に争いのない事実および<証拠>を総合すると、次の事実が一応認められ、右各疎明のうちこれに反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。

被申請人は、昭和三九年一〇月、小倉地区における労働組合の地域組織である小倉地区労働組合協議会(通称小倉地区労)から基本財産の寄与を受けて設立されたもので、労働者・低所得者のための医療、社会福祉事業を行なうことおよびそのために、三萩野病院の設置経営することを目的としている。

三萩野病院は、開設以来今日まで名実ともに勤労者・低所得者のための医療機関として、これらの階層の人々に親しまれてきている。すなわち、一般の医療機関においては、かつて、生活保護者、日雇労働者等の患者が歓迎されず、また差額ベッドの存在等により、これらの階層の人々がこれを利用するには障害があつたが、三萩野病院はこれらの患者の診療を積極的かつ良心的に行ない、差額徴収なども一切しなかつたために生活保護者、日雇労働者等の間で親切で良心的な病院として好評を博し、入院、外来ともこれらの患者が大半を占めるに至つている。さらに、病院は昼間に勤務する労働者のために夜間診療体制を整え、不採算医療であるリハビリテーションの設備を設け、無料ないしは低料金の健康診断を行ない、身寄りのない重症の入院患者には病院負担で付添婦をつけまた入院環境と外来環境の改善につき、患者自治会等としばしば話合いをもつなど一般の医療機関とは異なつた、特色のある経営を行なつてきた。他方病院の規模と内容は、開設当初は、内科・小児科を有し、許可病床が三七床程度であり、その後第一期、第二期の病棟建設を経て内容、規模ともある程度充実し、昭和四二年四月の第二期病棟建設後の時点では、八四床の許可病床、約六〇名の職員、内科四名、外科一名の医師(非常勤を含め実人員に換算で)を有する程度となつたが、まだまだ小規模の病院であつた。

そこで被申請人は昭和四三年八月の臨時評議員会において「一、第三期病棟建設を行なう事によつて地域医療の中の立場を強化する。二、安全センターを設立して、労働災害、職業病問題に取り組む。」等の決議をし、昭和四五年五月には安全センターの常任者を決定して具体的な活動に入るとともに、第三期新病棟建設計画も具体的に進めることとなつた。この第三期病棟建設計画は、地域住民に対し、より充実した医療を提供し、病院職員の労働条件を確保するため、老朽化した病院建物を増改築して、医療施設を拡充し、病院経営を適正規模に拡大することを目的とし、完成後は、ベッド数を一六〇ないし一七〇床、職員数を約一二〇名とし、内科、外科、小児科、整形外科をおこうというものであり、さらに、労災、職業病問題にとりくむ安全センターの活動を通じてできれば将来労働医学研究所を病院内に設置しようとの要望も含んでいた。

ところでこの計画を実現するにあたつては、医療スタッフ、とくに医師の確保が不可欠であり、被申請人は、前記計画の概要では、完成後は一〇名ないし一一名の医師を必要と考えたのであるが、三萩野病院においては、大学医学部等からの、通常の医師の供給ルートを欠いており、医師の確保はきわめて困難な状況にあつた。しかし、被申請人は昭和四五年五月頃、たまたま、九大研修医ルーム(事実上青医連のメンバーで構成)から三萩野病院に当直医としてアルバイトに来ていた医師を通じて、右研修医ルームの就職担当者を紹介され、同人と数回接衝を重ねた結果、申請人A、同Y、同T、同Kらの希望者がいるとの連絡を受け、同人らと直接交渉することとなつた。

しかして被申請人は、申請人らと直接交渉を行うに当り、申請人Aら青医連所属医師が医療について有する考え方に深い理解と認識を持たない儘、極く一般的に三萩野病院における医療の理想と現実を説くと共に前記の新病棟建設計画の概要を説明し、当該計画実現のために申請人らが是非とも三萩野病院に来て欲しい旨懇請し之に対し同申請人ら四名が四名一組でなければ就職できない旨述べたところから、被申請人側としては、当時三萩野病院には、実人員に換算して内科四名、外科一名の医師がおり、その規模からして必ずしも四名もの医師を必要とする状態になかつたが、右の新病棟建設計画実現のため敢て四名全員の採用に踏み切り、申請人A、同T、同Yは昭和四五年九月一日から、同Kは同年一〇月一日から夫々三萩野病院内科医として勤務することゝなつた。

そして右採用交渉の過程において、申請人らは自らが主に同計画の実施に必要な医師の増員として先行投資的に採用されたものであることを充分知悉していたものである。

ところで、前記四名の申請人が、三萩野病院に常勤医師として勤務するようになつて以降同病院の経営収支は急速に悪化することとなる。

すなわち昭和四五年度下半期(昭和四五年一〇月一日〜四六年三月三一日)には約九五〇万円の純損失を計上し、同年度上半期(昭和四五年四月一日〜九月三〇日)に計上していた純利益約九四〇万円で埋め合わせてやつと昭和四五年度はほぼ収支ゼロで均衡する状態を保ちえた。

この四五年度下半期のような収支の悪化が将来にわたつて続くとすれば、病院経営は破綻し、被申請人の財団法人としての財政基盤のぜい弱さからして、新病棟建設はおろか、病院の存続すら不可能となることは必至であると考えた被申請人は昭和四六年二月に人員増をともなわない病床増を一〇床行ない、病院職員の労働を強化するという方法で当面の経営収支の改善を図るとともに、同年三月には二回にわたり医師、病院職員による全体集会をもち、病院を存続させるかどうかという深刻な議論を行なつたところ、職員全員による三萩野病院を存続させるとの強い意思表示があり、また前記四名の申請人ら医師も、病院の経営危機打解のために協力する意思を表明し、「外科の充実によつて経営事情が好転するだろう。」という申請人ら医師の意見もあつたので、被申請人は、将来の経営収支の改善を期待して、第三期病棟建設計画を既定方針どおり進めることとし、そのための外科の充実をはかるべくさらに同年四月一日申請人Nを、同年六月一日申請人Sをそれぞれ採用した。

しかし、その後六ケ月を経過し、昭和四六年九月になつても病院の経営収支は一向に好転する気配はなく、同年四月から九月までの六ケ月間についてみれば入院患者延日数は、一七、二〇三で前年同期の一七、三四三より若干減少し、各月の月末在院数の合計は五三八で前年同期の五五五八より若干減少し、外来患者延数は、二〇、六五〇で前年同期の二五、七三九より大巾に減少し、いずれも昭和四五年度上半期の水準を下まわつている。なおそのうち新患の件数については、一、六一九で、前年同期の一、一六五を上まわつているが、これれは昭和四六年七月の医師会のいわゆる保険医総辞退のなかで、三萩野病院は保険診療を行なつたため、一時期患者が集中したことと同年四月からパート医による小児科の診療体制を作つたので、この小児科の患者数が含まれていることによるもので、これ以外の時期についてみれば前年同期とほぼ横ばいの状態になつている。また外科の手術例数(診料点数一〇〇点以上のもの)も三六で、前年同期の三五とほとんど変化はなかつた。

このような状態が昭和四六年度下半期においても続き、昭和四七年三月期(昭和四六年度)決算において、病院会計はかつてなかつた、七二一万二、七〇五円もの純損失を計上することとなり、これは前年度までの同会計の繰越利益剰余金四五〇万七、七二七円をすべて食いつぶし、逆に二七〇万五、〇七八円の繰越欠損金を残してしまつた。

このように、逐年実施される医療費の引上げや三萩野病院診療体制の充実等によつて診療収支の増加、引いては経営収支の向上が期待されたに拘らず、被申請人の予期に大いに反し、前記申請人ら四名の内科医を採用した時点を境に経営収支が極端に悪化した原因は複雑多岐にわたるが、その直接且つ主要な原因の一つとして、外科患者の延件数が減少し、外来診療収入が激減したことと注射・薬の使用制限により診療収入が減少したことが挙げられる。以下少しくこれを敷衍すれば、先ず外来患者の延件数が、減少したことについて、従来三萩野病院では昭年四二年に再診料が設けられた際、それまで七日投薬であつたのを四日投薬に切り換え、爾来四日投薬の診療方式が慣行化していたものであるが、申請人らは、従来の外来患者の治療が初診時のみ医師によつて行なわれ、その後は主として病院の経営的配慮から、多くの患者がひんぱんに薬を受取りに来るだけ、或は、あまり意味のない注射をうちに来るだけといつた治療上好ましくない診療方式が採られていたとの反省に立ち、患者を無用に来院させることをなるべく避ける趣旨から治療上七日投薬でよい患者に対しては従来の四日投薬を七日投薬の方式に改めたのであるが、同申請人らのこの措置は必然的に外来延患者数(通院日数)の著減をもたらし、その結果、再診料、処方料、注射料が減少し、新患に比べて再来患者の割合が他の病院と比較して非常に大きいという三萩野病院の特殊性もあつて、三萩野病院の外来診療収入は申請人らの診療方式のため相当額の減少をみた。外来患者延件数が減少したもう一つの原因は、北九州市が生活保護人員の縮少政策をとつたことにある。すなわち、前述のように三萩野病院では生活保護の患者が非常に多く六割以上を占めているのであるが、右縮少政策によつて三萩野病院の外来患者数は相当減少し、それに伴つて診療収入も減少した。

次に、申請人らの投薬・注射の制限について、申請人らは、現在の日本における薬効検定の実態が非科学的且つ不充分であるにもかかわらず、各医療機関は手軽に収益をあげる手段として、科学的根拠を無視して薬・注射を安易に濫用し、そのため患者は、高額の薬・注射料を負担させられるだけでなく、薬漬けにされていわゆる薬公害にさらされているとの反省に立ち、薬物は本質的には毒物であるから患者の容態と薬の効果・副作用を按配して薬物の使用は必要最少限に押えることを基本理念とし、そのために薬品の規制の厳しいアメリカ等の文献を求めて研究し、薬を、①効果がはつきりしているが、しかし必ずといつていい程副作用を伴うもの、②効果もはつきりしないが、副作用もはつきりしないもの、③効果が疑わしく、副作用が強いもの、の三種類に大別し、①の薬は患者に適応があれば副作用に注意し乍ら使用する、③の薬は直ちに使用をやめることゝしたが、最も数も多く、一般に濫用されがちの②の薬については、申請人らは職業倫理からも、医師の良心からも、なるべく控え目に使用することが望ましいと考えて、診療上之を実践した。このように申請人らは科学的根拠に乏しい薬についてはできるだけ使用を中止する医療態度を堅持したため、投薬料、注射料は激減し、三萩野病院の収入減に相当大きな影響を与えた。また経営収支悪化の主要な一原因として注目すべきものに人件費増と設備投資による減価償却費の増加がある。前者は、人件費が昭和四四年度六、四六八万一、〇〇〇円、同四五年度七、八八八万七、〇〇〇円、同四六年度八、八七二万円と毎年度一、〇〇〇万円以上の増加をみせ、給与総額に対する収入合計比が昭和四四年度2.60倍、四五年度2.33倍、四六年度2.11倍と大巾に減少しており、後者については、昭和四四年九月頃購入設置したレントゲンテレビの減価償却として定率法により昭和四五年度には一二九九万円余を、昭和四六年度には一一一一万円余を計上し、(右両年度共減価償却予算は各金八〇〇万円)ており、貸借対照表上収支悪化の大きな一因をなした。

以上のような経営収支悪化の傾向が続くなかで、被申請人は予て懸案の第三期(新)病棟建設計画が実現され、入院設備を拡充整備することにより、診療収入が飛躍的に増大し、その結果病院経営の収支が改善されるべきことに僅かな期待をつないだのであるが、申請人らは昭和四六年九月頃に至り、右病棟建設計画は、一つには之が生活保護者を患者層から締め出し、より裕福な都市勤労市民を対象患者として志向する差別思想に根ざしていること、今一つには該計画実施に必要な診療収入獲得のため投薬等の診療行為を強制することにつながることを理由として、被申請人理事会に対し被申請人がそれまで進めてきた第三期病棟建設計画それ自体に対し、明確に絶対反対非協力の態度を表明してきた。もともと医師は病院の管理運営の中心であり、新病棟建設計画を実施し、その趣旨、目的を達成できるかどうかは、専ら医師の協力態度にかかつていることはいうまでもなく、申請人らが計画自体に協力しないという態度をとるかぎり被申請人としては、いかんともしがたく、同計画は断念せざるをえなくなり、昭和四六年一〇月一三日開催の評議員会において、理事会から「病院の現状収支では、病院の存続の条件を整備することが急務であり、新病棟建設計画はいつたん断念せざるをえない。病棟建設計画の一環として行なつてきた、先行投資についてはこれを整備することとし、定員については同計画に従い増員する以前の状態にもどし、先行投資として取得した土地については売却する。安全センターについては当面常任者をおいて取り組むことはできない」との内容の運営方針が提案され、「医師については四五年度上期の状況(内科四、外科一)の人員に減員する」との内容を含んでいる旨の説明がなされ、右理事会の提案は、医師代表の評議員として出席していた申請人をも含めて全員異議なく可決された。

被申請人は右評議員会の決議した方針にもとづき、医師三名(内科一、外科二)を減員することとしたが、まずその方法として希望退職を募つた。しかし、これに応ずる医師は全くいなかつた。そこで、やむなく各医師について、一般職員との協調性、患者からの信頼度、等を総合判断し、内科一名の減員として申請人Aを、外科二名の減員として申請人N、同Sを、昭和四七年二月二六日、同日限りで、三萩野病院の医師として診療業務を行なう旨の契約を解除するとの通告をした。

二叙上認定の事実に基き、以下解雇の効力について逐一検討する。

本件第一次解雇は、三萩野病院の就業規則(それが医師にも適用あることはその規定上明らかである)一五条二項にいう「病院の経営上やむを得ない事由」に基くものであるが、被申請人は同条項の「やむを得ない事由」として、いわゆる整理解雇の場合に該る旨主張するので、先ずこの点について判断する。

一般に解雇は労働者に重大な脅威を与えるものであるから、軽々に行なわれるべきでないことはもちろんであるが、労働者に特段の「責に帰すべき事由」がないいわゆる整理解雇の場合にあつては、極めて厳格な要件が必要とされるものというべくその要件としては、(一)人員整理を行なわなければ倒産必至という客観的事実があつて、その人員整理が合理化の最も有効な方法であること、(二)人員整理に至る過程においてこれを回避し得る相当の手段を講じたこと、(三)被解雇者の選定が客観的且つ合理的な整理基準の適用に基いたものであることが必要であり、右(一)ないし(三)の要件を備えて始めて企業経営上やむを得ない場合として整理解雇が許されると解すべきであつて、これらの要件を具備しない整理解雇は解雇権の濫用であり無効であるというべきである。

1  そこで右要件(一)の倒産必至の事実の存否を本件についてみるに、申請人A、同T、同K、同Yの四名が三萩野病院に常勤医師として勤務するようになつた昭和四五年下半期以降同病院の経営収支は急速に悪化し、昭和四七年三月期決算において二七〇万五〇七八円の繰越欠損金を残すまでに収支が悪化したこと、しかしてその主要な原因の一つが同申請人らの診療方法の改革、即ち外来患者の通院間隔を従前より拡大し、そのため外来延患者数が減少したことによる再診料、処方料の減少、薬・注射の使用を従前と異り極力制限したことによる診療収入の減少にあり、更には医師の増員とそれに伴う従業員の人件費の増大等にあることは先に認定したとおりである。

ところで経営収支の悪化に対する改善策の一つとして、被申請人は、昭和四六年二月に人員増を伴わない病床増を一〇床行なつて、病院職員の労働を強化するという方法で当面の収支の改善を図るとともに、同年四月に申請人Nを、同年六月に同Sをそれぞれ採用して外科の充実を図つたけれども、その後も経営収支は一向に好転する気配はなく、依然として外来延患者数は減少し、外科の手術例数もほとんど増加せず、診療収入も伸びず、逆に人件費が毎年一、〇〇〇万円以上も増加し、給与総額に対する収入合計比が毎年大巾に減少したため、に経営収支の悪化は更に進行する傾向を示し、それに加えて、申請人らは同年九月頃から被申請人の第三期病棟建設計画に明確に反対する態度を示すようになつたために被申請人は同計画をいつたん断念せざるを得なくなり、その結果、新病棟建設により病院規模を拡大し医療内容を充実強化することによつて経営収支の好転を期待するという唯一の方策も断念を余儀なくされたのであるから、昭和四七年二月当時における同病院の経営的収支の将来的展望は相当深刻な状態にあつたというべく、この際合理化の最も有効な手段として、人件費削減のための人員整理を行なうことなく、その儘推移すれば、近い将来において必ずや病院経営は破綻するに立ち至るであろうことは容易に予測できたところである。確かに昭和四七年三月期決算における二七〇万五〇七八円程度の赤字は未だ倒産必至とするに足らない数字である、とする考え方もないではないけれども、本件の場合、診療収入以外に恒常的な収益を期待できない病院企業の特殊な性質上、勤務医師の医学的な信念と医師としての良心に基く診療方法が赤字の主要な一因をなしている場合において、当該診療方法が病院経営者の期待どおり改められることは殆ど不可能に近いといえるのであるから、両者の医療に対する考え方の当否の問題と関りなく、勤務医の診療行為に基く病院収益が将来顕著に上向く見込みはないと考えられることに加えて前示諸般の事情特に申請人Aら四名が就職した昭和四五年九月から解雇のなされた昭和四七年二月に至る赤字累積の経緯を考え併せれば、昭和四七年三月期の正味財産が法人病院総合三七八〇万一〇〇〇円程度の小規模企業である三萩野病院にとつて、昭和四七年三月期決算における二七〇万円余の赤字がいずれ来るべき倒産を意味するものと認めるを妨げない、というべきである。

なお前認定のとおり、申請人らは元々、主として、被申請人の第三期新病棟建設計画の実施に必要な医師の増員として先行投資的に雇傭されたものであるから、その計画が右のとおりいつたん断念を余儀なくされるに至つた以上医師の数を同計画前の状態に減員し、経営的収支を改善して病院の存続と経営的基盤の長期的安定を図ることは被申請人にとつてむしろ当然の措置ともいえるのである。

以上のとおり三萩野病院の収支は昭和四七年二月当時人員整理を必要とする程度に悪化しており、いわゆる整理解雇の前示要件(一)に欠けるところはなかつたことが一応認められ、右認定を覆して本件整理解雇が赤字もないのに解雇権を濫用して不必要になされた旨の申請人の主張を認むべき疎明はない。

申請人らは、仮定的に、病院収支の悪化の原因は専ら被申請人の経営方針の誤り、あるいは経営努力の欠如にあり、赤字収支の責任者である被申請人が責任のない申請人らを整理解雇することは、自らの責任を他に転嫁するものであつて、信義則に違反し、解雇権の濫用として許されない旨主張する。

成程三萩野病院における赤字収支を招来した原因の一端が、外来患者の通院間隔を拡大したり、薬・注射の使用を制限したりした申請人らの診療行為にあることは前認定のとおりであるが、右診療行為は、申請人らの医師としての良心と信念に基くものであつて、それなりに正当な理由がある行為として評価されるべき性質のものであり、ましてやこれらの行為を捉えて申請人らに対し赤字収支の責任を問うことが許されないのは申請人ら主張のとおりである。

病院経営者は、整理計画を樹立実施するに当り、診療行為に基き病院収支の赤字原因を作出した医師従業員をその故をもつて整理の対象として選定することは、医療の性質上解雇権の濫用として許されないというべきであるが、企業経営上の見地から当該医師従業員を整理解雇の対象として選定することは、一見結果的には同一の如くであるが、自ら別個独立の問題に属するもので、許されない道理はない。換言すれば、勤務医ら被傭者の責に帰すべからざる事由によつて病院の経営収支が悪化し経営困難に陥つた場合において、病院経営者がその整備計画に基いて余剰の医師ら従業員を解雇することが許されないとする法律上の根拠はなく、仮令経営収支悪化の原因が経営者の責に帰すべき経営方針の誤りないし経営上の無能にあるとしても、それが労使の信義則上著しく非難されるべき性質程度のものでないかぎり、経営者が実施する整理解雇は解雇権の濫用に該らないものとして許されると解すべきである。蓋し、企業の整備計画は元来経営者の専行するところであつて、その計画樹立に至る動機原因の如何によつて左右されるものではなく、ただその動機原因が著しく信義に反する場合にのみ解雇権の濫用として無効となることがあるにすぎないのである。

これを本件についてみるに、被申請人側の赤字収支の原因として、まず人件費の増加があるが、これについては<証拠>によると、申請人ら医師を含む従業員の給与額の増加によるものであつて、経営者の被申請人としてもまことにやむを得ない性質のものであることが一応認められ、右人件費増の事実を以つて労使の信義則上経営者である被申請人を著しく非難することは当らないというべきであり、次に設備投資による減価償却費の増加についても、<証拠>によると、これは主として昭和四五年度にレントゲンテレビを購入設置したことゝ償却初年度の昭和四五年度、同四六年度に定率法により償却額を算出したことによるものであるところ、前者はレントゲン技師等の被爆量を減少させる目的から健康上、人道上の要請に基くものであると同時に医療内容の充実という観点からも被申請人としては是非必要な措置であつたことが認められ、後者も税法、会計法上認められた償却方式であつて許されないものではないのであるから、償却費の増大を捉えて被申請人のした設備投資を経営上の無能な措置として問責非難することはできない。また赤字収支の一因と考えられる昭和四五、四六年度における土地購入の点も、<証拠>によると、これは財団法人の財産の効率的な運用により、将来予想される病院の拡張のための資金負担の軽減をはかることを目的として借入金によつてなされ、その後具体的には第三期病棟建設計画のための資金準備として位置づけられたものであり、病院会計と無関係な無謀な土地投機のためではないことが一応認められるのであつて、これを以つて特に非難すべき被申請人の経営方針の誤りということはできない。

その他、経営収支の悪化の原因について、被申請人に整理解雇を許さない程の問責事由を認むべき疎明はないから、その存在を前提として整理解雇を権利の濫用とする申請人らの主張は採用できない。

2  次に整理解雇の要件(二)の整理回避の手段について考えるに、企業が整理解雇を実施するに当りそれ以前に之を回避しうるであろうあらゆる措置を講ずることは経営上望ましいことではあるが、形式的、画一的にあらゆる手段をすべて尽した上でなければ労働法上整理解雇は許されないと断ずるのは必ずしも相当でないのであつて、所詮は労使の信義則上相当と認められる範囲の回避手段を尽すことをもつて整理解雇のための必要にして充分な要件を備えたというべきであり、その範囲は当該労使の具体的関係に応じて決せられる外はないと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前認定のように、経営収支の悪化が次第に続くなかで、被申請人は昭和四六年二月に人員増を伴わない病床増を一〇床行なつて、当面の経営収支の改善を図り、同年四月にも経営収支の改善を期待して人的、物的に外科の充実を図つたけれども、経営収支は一向に好転せず、また医師三名の減員実施の方法として、まず希望退職を募つたけれどもこれに応ずる医師は一人もいなかつたのであつて、被申請人としても人員整理を回避しうる手段を相当程度講じたことが明らかである。そして病院経営の特殊性からして、医師でない病院経営者は医療行為自体について直接にはなんらの権原を有しないのであつて、経営収支の改善のために採りうる手段も自ら限られざるをえないのは誠に止むをえないところであることを考え併せれば、右回避手段をもつて相当の回避手段を尽したものということができるのであつて、これ以上に募金をするとか、土地を処分するとかの方策を講じなかつたとしても、それによつて本件整理解雇が解雇権の濫用となる筋合のものではない。

他に人員整理を回避すべき有効な手段の存在を認むべき疎明はないから、本件解雇において整理解雇の前示(二)の要件も存在したことが明らかであり、本件整理解雇が回避手段を尽さないでした解雇権濫用の措置であることを認むべき疎明はない。

3  そこで進んで整理解雇の要件(三)の客観的で合理的な整理基準の設定と適用について更に審究する。

凡そ企業が実施すべき整理解雇のため設定すべき整理基準の合理性は当該企業の業種と規模、人員整理の必然性等を総合して具体的にその有無を決定する外ないのであるが、一般的にいえば、整理による倒産回避の趣旨を逸脱しない範囲において、従業員中再雇傭の蓋然性と人件費が高い地位、職種の労働者をより低い地位、職種の労働者に優先して整理の対象とすることが合理的であり、病院企業における勤務医師の場合にあつては、公知のとおり、現在の日本の医療制度下において医師一般が就職面、所得面について他の職種と比較してある種の特権的地位を保証されていることもあつて、特段の事由のない限り、他の病院従業員に対する場合以上に解雇自由の法原則の適用が巾広く認められて然るべきものと解する。

しかしてこれを本件についてみるに、被申請人が、前叙の経緯に基き、整理解雇の実施を具体化するに当り、当時の勤務医師八名につき、一般職員との協調性、患者からの信頼度、病院の業績向上への寄与度、勤務態度等に基き医師三名を対象者として選定すべき旨の整理基準の設定にはなんら不合理な点は存在しないのであつて、合理的な整理基準の設定という要件に欠けるところはない。

4  然しながら、右3の整理基準の具体的適用について、申請人A、同N、同Sらはいずれも当該整理基準に該当しないにかかわらず、これに該当するものとしてなした本件解雇は解雇権の濫用であつて許されないと主張する。

整理解雇における整理基準そのものが合理的でなければならないことはもとよりであるが、これに該当するかどうかも客観的合理的に決定されなければならず、被申請人の恣意的主観的判断によるべきでないことは当然であるから、以下申請人らのそれぞれについて、整理基準該当性の有無を検討する。

(1) 申請人Aについて

① <証拠>によると、昭和四五年一一月頃検査室の主任である池永道利が検査室において、同申請人に「検査技師を外に出すときは、検査室の仕事の段取りもあるから一応主任である自分に言つてもらいたい」旨言つたところ「主任とは何か」「主任なんか関係ない」「お前に一つ一つなんで言わないかんか。」と大声で怒鳴りつけ、同主任と三〇分以上にわたり口論を続け、その間検査室の業務を中断させたことが一応認められる。

なお、申請人Aは、この件につき室園検査技師が同申請人の指示で腸チフスの確定診断に必要な血清を朝日ケ丘病院に取りに行くため病院の自動車を出してくれるよう池永主任に要請したところ、同主任が「腸チフスなど出る訳がない」「普段の仕事を全部済ませてから、朝日ケ丘病院に行け」と言つたことに対し、申請人Aが抗議したものである旨主張するが右疎明によると、池永主任はもともと室園技師が朝日ケ丘病院に行く用件が腸チフスの検査のためであることは、同技師からはもちろん、申請人Aからも聞いていなかつた<証拠判断省略>ので、同申請人に、前記のとおり言つたことが明らかであるが、朝日ケ丘病院へ行くのが腸チフスに関する急ぎの要件であつたことからして、仮に池永主任に非があつたとしても申請人Aとしては穏やかな態度で話し合えばすむ問題であつて、検査室で大声で怒鳴つて三〇分以上も口論を続け業務を妨害する必要はなかつたというべきであろう。

② <証拠>によると昭和四六年一一月頃、逆行性腸透視の際、後藤X線技師が患者の体の下に汚物が出たときの掃除の都合のため、新聞紙を敷いていたところ、申請人Aはその新聞紙をとつて精神病者のように、あたりにちぎつては投げ、ちぎつては投げして同技師に対しあてつけがましい態度をとつたことが一応認められ、患者の体の下に新聞紙を敷くかどうかは、医師にとつては、何ら医療上の意味をもつものではなく、単なる好みの問題にすぎないが、後で汚物の掃除とりをするのは、X線技師や看護婦であるから、その立場からすれば新聞紙を敷くのは当然であり、患者の体を現実に動かし、こぼれた造影剤を拭き取るのも、X線技師や看護婦であり医師として検査がやり難いということはありえないことが明らかであり、<証拠判断省略>。そうすると、申請人Aの右の態度は、職員の立場を全く無視した身勝手なものであるといわれても仕方のないものであるし、しかも申請人Aは単に新聞紙を取り除いただけではなく、これを何度もちぎつてあたりに投げたのであるから、これはいかにも人を馬鹿にした陰湿なあてつけであるということができる。

そして右疎明によると同X線技師は申請人Aのような医師の下では働く気がしないと思つていることが窺える。

③ <証拠>によると、昭和四六年一一月二七日頃、糖尿病患者に対するインシユリン注射を、あらかじめ申請人Aから指示されていた夜勤看護婦が、たまたま同患者が食欲不振を訴え、朝食をとらなかつたので、看護婦らのそれまでの経験の範囲では、糖尿病患者に対するインシユリン注射の指示は患者が朝食をとることが前提であると認識しており朝食をとらないときは、インシユリン注射はしないのが同看護婦らの常識であつたので、同看護婦の判断で同患者に対するインシユリン注射をせず、その朝、同看護婦がその旨、申請人Aに言つたところ、同申請人は「医者の指示している注射をしない」「どうしてそういうことを看護婦に言う権利があるか」などと大声で怒鳴りつけ、これが看護婦の間で問題となつたことが一応認められる。

なお同申請人は、レンテインシユリンと食事との関係について医学上の主張をしているが、その真否はともかく、右疎明によると、同申請人はその日、看護婦に「今朝のことは僕の間違いでした」旨言つて自己の誤りを認めていることからして同申請人が、当時そのような認識をもつていなかつたことは明らかであり、看護婦を頭から大声で怒鳴りつける必要はなにもなかつたはずである。

④ <証拠>によると、同申請人は昭和四六年一〇月二一日、被申請人評議員会の書記を勤めた庶務課職員伊藤哲を医局に連れ込み同人が「はつきり、覚えておらず自分のメモには記載がない」旨主張するにもかかわらず、評議員会議事録中に重要な記載もれの発言があるといい、これを認める文書に署名することを、顔色を変えて、すごみを効かせた声で執拗に迫り、さらにその間、同職員が医局に連れ込まれたと聞き心配してその場にかけつけた平井医事課長を血相を変えて申請人Nと二人で大声をあげて荒々しい態度で部屋の外に押し出し、結局右伊藤を医局に軟禁状態にしたまま、その真意に反する文書に署名させたことが一応認められ、<証拠判断省略>。また同疎明によると、右伊藤は事務職員であり、申請人Aとは、それまでこれといつて話をする間柄でもないし評議員会においては、議事録作成については何の権限もない単なる書記にすぎないことが明らかであり、申請人A、同Nの行為は、職員に対する全く理不尽な威迫であると評価されても仕方のないものである。

⑤ <証拠>によると、申請人Aは、昭和四五年九月頃、急性肝炎による入院患者に対し「安静と栄養が治療である」と称して全く治療せず、そのため同患者は「こんな医者にはみせたくない」と立腹して二日後に退院したことが一応認められる。

仮に右患者の場合、安静と栄養以外に有効な治療法がないというのが医学上の真理であるとしても、それを患者に誠意をもつて説明し、治療方針について患者を納得させるのが医師としての務めであるというべきであるのに、右疎明によれば、同申請人はこれを怠り、患者を立腹させ、その信頼を失つたことが明らかである。

⑥ <証拠>によると、同申請人は、急患の多い小児科の外来患者に対して、小児科と聞いただけで全く診察もせず、他の病院に行くよう指示したり、夜間当直の際看護婦が急患が来た旨の電話連絡をすると、ため息をついたり、返事もせずに受話器を置いたりして、なかなか出て来なかつたことが、何回かあり、こうした態度は、他の医師にはみられない特徴として看護婦らからも、問題視されていたことが一応認められ、<証拠判断省略>。

⑦ <証拠>によると、昭和四六年一一月一九日、三萩野病院の患者組織である患者自治会の代表者から三萩野病院に対し申請人Aについて「患者に非常に感情的である。患者の納得をぬきにした治療を行う。夜の静かなときに病室を口笛を吹いてまわるので困る。往診に快く応じない。」との苦情が正式に申し出られたことが明らかである。

(2) 申請人Nについて

① <証拠>によると、同申請人は、昭和四七年二月五日午前一〇時三〇分頃、第一病棟看護婦詰所にやつてきて黒水看護婦に「外科の急患のために必らず一病室を空けておいてほしい」との相談をもちかけ、これに対し同看護婦が、病室の確保の問題は婦長のする仕事であり、一看護婦としてはどうにも出来ることではなかつたので「自分で勝手にそういうことは出来ない」と言つて断つたところ、同申請人は、それから一時間にわたつて、同看護婦に対し執拗に自己の意見を繰り返して述べ続け、その間同看護婦の業務を中断させ、さらに、午後二時頃、再び同詰所にあらわれ、一時間ばかり同看護婦に対し午前中と同様のことを繰り返して述べて業務を中断させ、同看護婦がかかつてきた電話をとつた際仕事の話だつたので、それまで仕事がたまつていていらいらしていたこともあつて思わず「先生方は余程お暇なんですね」と言つたところ、同申請人は、突然立ち上り、同詰所で仕事をしていた他の二人の看護婦に向つて「今の黒水の態度はどういうことだ。どう考えるか」と興奮して怒鳴り、右看護婦らは、おそれをなしてしばらく席をはずした程で、黒水看護婦が同申請人に「私の言い方が悪かつたんだつたら謝ります。」と言つたのに対し、同申請人は「謝まることはいらん。もう勝手にしなさい。馬鹿が」と言い乍らドアが破れんばかりの激しい勢いで外に出て行つたことが一応認められ、<証拠判断省略>。

② <証拠>によると、同申請人は、昭和四六年一二月七日山本節子婦長に対し既に退職していた田口看護婦の退職理由とか外科主任の任命方法等を詰問口調で問いただしたうえ、当時空席になつていた第一病棟主任看護婦の後任の件について「自分は帆足看護婦を推薦する」と述べ、これに対し同婦長が「先生が推薦するからといつて必ずしもそのとおりになるとは決つておりません」旨答えたところ、同申請人は「反対する奴が居つたら俺はいつでも反論してやる。」と強い口調で述べて部屋から出て行つたことが一応認められ、<証拠判断省略>。

そもそも看護婦の人事に関し婦長をつかまえて自分の意見に「反対する奴が居つたら俺はいつでも反論してやる」などということ自体医師としての地位をかさに看護婦らに対しことさらことを構えた姿勢であり職員との協調性を欠く態度であると評価されても仕方ないというべきである。

③ <証拠>によると、昭和四六年六月中旬頃、入院患者の手術の際、主治医と執刀医との間の連絡の不手際から、同一の患者に同一の投薬をする処方箋が薬局にまわつて来たので、薬剤師が病棟にその旨伝えたところ、翌朝、同申請人は薬局に入つて来るなり加来薬剤師に向つていきなり頭から「加来さん、あんたは……」、と興奮した口調で怒鳴りつけ、投薬袋が悪いから右のようなミスが起きたかのようなことを、大声でまくしたてたうえ、その後「薬局に文句を言つてきた」と病棟詰所で看護婦に話していたことが一応認められ、<証拠判断省略>。

もともと右重複投薬は、もつぱら医師の側のミスであつて薬剤師には何の責任もないことであるのに、それをいきなり薬局に大声で怒鳴り込んで行くなどということは、職員との協調性を云々する以前にその人格が疑われても止むを得ないというべきである。

④ <証拠>によると、昭和四六年六月頃庶務課が職員の定期健康診断についての「通達」を出したところ、同申請人は庶務課にあらわれ、女子事務員に向つて「通達という言葉は官僚的でけしからん」と大声で恫喝し、同女子事務員を威怖させたことが一応認められ、<証拠判断省略>。このようなささいな言葉の問題で、わざわざ庶務課に怒鳴り込み、女子事務員をつかまえて恫喝する必要がどこにあるのか、不可解であるというべきであろう。

⑤ <証拠>によると、同申請人の執刀した手術がいつもより長時間であつたので、管理当直の山上繁喜が手術終了後に看護婦に対し「今日は長くて御苦労さんでした」と言つてその労をねぎらつたところ、同申請人は何を考えたのか「手術が下手だと言つた」といつて顔面蒼白となつて当直室に怒鳴りこんで行つたことが一応認められる。

⑥ <証拠>によると、同申請人は、昭和四六年一〇月二一日、前記申請人Aの項で述べたとおり、同申請人と共謀のうえ庶務課職員伊藤哲を医局に軟禁し、文書に署名を強要したことが認められ、<証拠判断省略>、申請人Nは「「Aの言つていることは筋が通つていると思う」と言葉をはさんだにすぎない」と弁解するが、右疎明によると同申請人は医局にかけつけた平井課長を血相を変えて申請人Aと一緒になつて外に押し出したことが明らかであり、右軟禁、署名の強要に加担していたといわざるを得ない。

⑦ <証拠>によると、同申請人は、夜間当直の際、心臓が悪いうえ子供が死亡したために倒れた患者を診察し、血圧測定をしたが、症状について全く説明もしなかつたため患者が納得せず、翌朝説明を求めに来たことがあつたことが一応認められる。

⑧ <証拠>によると同申請人が常勤の外科医として勤務するようになつた昭和四六年四月以降、本件解雇に至る昭和四七年二月までの期間をとつて、前年の同期間と比較すると、外科の患者数は概して増加するどころか減少に転じていること、すなわち入院実件数はわずかに増加しているが、外来実件数、再来延件数、入院延件数、ともに減少し、新患実件数は昭和四六年七月の医師会保険医総辞退の際、三萩野病院は保険診療を行なつたため同月に一〇一件と他の月の約三倍もの患者が三萩野病院に集中したため増加したが、この特殊な要因を除けば、新患実件数も減少していることが明白であり、しかも昭和四六年四月以降右各項目について月別の件数の推移をみても昭和四七年二月に至るまでほとんど横ばいないし減少の傾向がみられ、また手術例数も昭和四六年四月から四七年一月までの間の合計では前年同期間のそれより若干増加はしているものの(しかしこれも月平均二件足らずの増加にすぎない)、月別の件数推移は増勢の傾向はみせておらず、ほとんど横ばい状態であることが一応認められる。

従つて、同申請人は、外科の業績向上のため採用されたにもかかわらずこれにはほとんど寄与していないといわざるをえない。<証拠判断省略>

(3) 申請人Sについて

① <証拠>によると、同申請人は、昭和四六年九月頃、被申請人理事会に対し、いわゆる「第二次松寿園闘争に参加する」との理由で一ケ月間休ませてもらいたい旨申し出、これに対し同理事会が有給休暇(同申請人は採用初年度で年間六日間の有給休暇をとれることになつていた)をとることについては、とやかく言わないがそれ以上休むことは認められず、病院で勤務すべき旨、同申請人に通告したにも拘らず、同申請人は同月一四日から二一日まで六日間(一五日は祭日で一九日は日曜日)の有給休暇をとつただけでなく、同月二二日から二九日までの間に連続して六日間(二四日は祭日で二六日は日曜日)欠勤し右闘争に参加したことが一応認められ、<証拠判断省略>。このような無断欠勤、診療業務の放棄は勤務医師として常軌を逸したものであると評価されても仕方がないというべきである。

② <証拠>によると、同申請人は、昭和四六年一〇月頃、手術後麻酔から完全に覚醒せず高血圧状態が続いている患者に対して血圧下降剤アポプロンの静脈注射をするよう山本看護婦長に指示したが、同婦長は右薬液の皮下注射はともかく静脈注射は全く経験したことがなく、文献を調べても静脈注射をしてよいとは書かれていなかつたので、同申請人に対しその旨説明し、「されるのだつたら先生がなさつて下さい」と言つたところ、同申請人はにやにや笑つて同薬液の注射をしなかつたことが一応認められるが、右事実からすればアポプロンの静脈注射の可否に関する医学上の問題とは別に同申請人の診療態度が実にいいかげんなものであつたことが窺える。

③ <証拠>によると、同申請人は、足の痛みを訴えて通院している患者に対し「痛いのは働きが足りないからだ」と言つたり、また別の患者に対しては「もう年だから死ななきやなおらない」との暴言をはき、言われた患者は一時通院を中断したことが一応認められ、<証拠判断省略>。

④ 同人が外科医として勤務するようになつて以降外科の業績向上にほとんど寄与していないことは、申請人Nと同様に(3)の⑧掲記の疎明上明らかである。

(4) 以上の事実を総合すると、申請人A、同N、同Sらは、概して、医師の特権的地位に慢心して、ともすれば職場秩序を乱す言動に走りがちであつたが、

① 申請人Aは、感情的で激昂しやすく、医師としての地位をかさに一般職員を見下して威圧し、怒鳴りつけるような言動が多く、職員との協調性を相当程度欠いていたうえ、患者に接する態度が時として非常に悪いために、患者から信頼されないことも間々あり、患者からしばしば苦情が出ていたことが明らかであり、同申請人は本件疎明上明らかな他の内科医と比較して最も強く本件整理基準に該当するというべきであるから、被申請人が内科医一名の整理解雇の対象者として同申請人を選んだことは客観的にみて合理的であつて、何ら解雇権の濫用に該るものではない。

② 申請人Nは、一般職員と好んでことを構え、そのために職員とのトラブルが絶えず、医師としての地位をかさにこれらの者を威圧し、侮辱するような言動が多くて、職員との協調性を相当程度欠いていたうえ、患者に接する態度が時として悪く、また同申請人は外科の充実強化のために採用されたのに、その業績向上にはあまり寄与していないこと等が明らかであるし、申請人Sは医師として未熟である一方、勤務態度は非常に悪く、患者に対しては暴言をはいたりして、その信頼もなく、また外科医として勤務するようになつて以降、外科の業績向上にはほとんど寄与していないことが明らかであるし、本件疎明上明らかな他の外科医と比較すると、その者より一層強く本件整理基準に該当するというべきであるから、外科医二名の整理解雇の対象者として申請人N、同Sを選んだことは客観的にみて合理的であるといわざるを得ない。

(5) 以上説示のとおり申請人A、同N、同Sに対する本件第一次解雇の前記(一)ないし(三)の各要件を全て満したものであるから、その意味において、三萩野病院就業規則一五条二項所定の「病院の経営上やむを得ない事由」を原因とする有効な解雇と断ずることは妨げないのであるが、右整理解雇の事由の外にも前示認定の諸般の事情特に同申請人ら就職の経緯と申請人らの反対により新病棟建設計画が中止された経過を考え併せれば、右諸般の事情は、同申請人らを解雇するにつき同条項の「病院経営上やむを得ない事由」に該当することは優に之を肯認できるところであるから、所詮その有効性に疑問を挿む余地はないのであつて、解雇権の濫用を縷々強調する申請人らの主張は之を認むべき疎明がなく失当である。

三申請人らは、本件第一次解雇は、一旦確保された医師の員数を医療法および同施行規則の要求する基準員数より下回る員数とする違法行為であり、民法九〇条により無効である、と主張するので考えるに、当裁判所の見解は左のとおりである。すなわち医療法二一条一項は「病院は省令の定めるところにより左の各号に掲げる人員及び施設を有し且つ記録を備えて置かなければならない……」と規定し、その一号としてさらに「省令を以つて定める員数の医師、歯科医師、看護婦その他の従業者」を掲げており、同条二項においては同条一項各一号の違反に対して自ら罰則を設けることをせず罰則を設けるか、どうかを政令に委任している。この趣旨は要するに医療法は、病院については相応の医師その他の人員施設を必要とするとしながらも、医師その他の人員については、いかなる態様で、いかなる内容の規制をするかを省令に委任し、罰則によるその強制の当否を政令に委任していることにほかならない。

そしてこの規定を受けて、医療法施行規則一九条一項は「法二一条第一項第一号の規定による病院に置くべき医師、歯科医師その他の従業者の員数の標準は、次の通りとする」と規定し、各号において、患者数その他を基準にした医師その他の病院従事者の数の算出方法を定めており、医師等の定数を絶対的に守らなければならない基準として設定せず、あくまで標準としているのであり、これは同規則二〇条の物的施設についての規制の仕方と根本的に異つている。そして医療法施行令も右施行規則一九条に関する罰則は定めていない。

右規則が、このような規定の仕方をしているのは、病院における医師その他の職員の定数につき絶対的基準を設定してその確保を強制することは医療の需要に対する医師等の絶対数の不足、経営実体の経済的基盤の多様性等の社会的現実からして適当ではないとの判断の下に一応の標準を設定して弾力的運用の余地を認めたうえ、行政上の指導監督を通じて規制していこうというものである。すなわち医療法施行規則の医師定数は単なる病院に対する行政庁の監督指導の標準であつて、その責任と判断において弾力的運用を容認しているものと解すべきであり、従つて、医師の減員により同規則の標準を下まわる結果となつたとしてもそれは行政庁の病院に対する指導監督上の問題であつて、これによつて勤務医師の減員のための雇備契約解除の効力まで左右されるもではないというべきである。

よつて被申請人の解雇に医療法等に違反する違法不当な廉はなく、この点の申請人らの主張は理由がない。

四申請人らは、第一次解雇は、反対の予想される原功、上野博郷両理事にその通知をせずして開催された寄付行為違反の理事会により決議されたものであるから、違法無効であると主張する。

<証拠>によると、被申請人理事会の招集は理事長が日時、場所および議題を各理事に通知してこれをしなければならないと規定されていることが明らかであるから、理事会の開催にあたり、理事の一部の者に対する招集通知を欠くことにより、その招集手続に瑕疵があるときは、特段の事情のないかぎり、右瑕疵のある招集手続に基づいて開かれた理事会の決議は無効になると解すべきであるが、通知を欠いた当該理事が出席してもなお決議の結果に影響がないと認めるべき特段の事情があるときは、右の瑕疵は決議の効力に影響がないものとして、決議は有効になると解するのが相当である(最高裁判所昭和四三年(オ)第一一四四号同四四年一二月二日第三小法廷判決、民集二三巻一二号二三九六頁参照)。

しかるところ、本件第一次解雇を決議した昭和四七年二月二六日の理事会の開催にあたり、原功、上野博郷両理事に対する招集通知を欠いたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によると、被申請人理事会は一〇名の理事で構成され、本件第一次解雇を決議した右理事会には右二名の理事を除いた八名の理事が出席し、全員一致で第一次解雇を決定したこと、右二名の理事は昭和四六年一〇月の評議員会で新病棟建設計画の断念と医師三名の減員を決議した際、これに反対の意思を表明して退場し、その後の理事会には一度も出席していないこと、本件第一次解雇の理事会決議は右評議員会決議に基づくもであり、右二理事は理事会には欠席していたが、その意見は右評議員会決議の際から概ね推察しうるものであつたこと、等が明らかであるから、本件理事会に右二理事が出席していても、その決議の結果には影響がなかつたことは容易に推察できるところであり、前記招集手続の瑕疵は決議の効力に影響を及ぼさず、本件理事会決議は有効であるといわねばならない。

五使用者は、労働者を解雇しようとする場合には、少くとも三〇日前にその予告をするか、またはそれに代る予告手当の支払をしなければならないが、仮にこれをしなかつたとしても解雇の意思表示がなされてから右予告期間を経過するか、または予告手当の提供があるかすれば、その時から解雇の効力を生ずるものと解すべきところ、本件の場合、解雇の意思表示がなされてから、右予告期間を経過したことは記録上明らかであるから、本件第一次解雇は有効であることに変りはない。

第三次に、申請人T、同Y、同Kに対する解雇(第二次解雇)の効力について判断する。

一解雇事由の有無

本件第二次解雇は、三萩野病院の就業規則にいう「従業員を解職するに足る重大な事由」があることを理由とするものであるから、まず右解雇事由に該当する事実の有無について検討する。

1  申請人Aらの「就労闘争」(病院内乱入等)への加担

<証拠>を総合すると次の事実が一応認められ、申請人T本人尋問の結果のうちこれに反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。

第一次解雇の通告の翌日である昭和四七年二月二七日午後二時頃、日曜日であるのに申請人T、同Y、同Kを先頭にして、そのうしろに申請人A、同S、及びその支援グループ数名が続き一団となつて病院の建物出入口(職員通用門)におしかけた。そして右集団は被申請人理事らおよび病院職員らに向つて口々に申請人らを病院内に入れろと要求し「首切りを撤回せよ」などと大声で口ぎたなく罵声をとばし、理事、職員らと押し問答を始めた。そのうち先頭部分にいた申請人Kがそれまで片方だけ開いていた右出入口の両開きドアの閉じてあつた側のドアの留金をはずして出入口を広げると同時に、右集団はいつせいにどつと同出入口から病院内の廊下に土足のままなだれ込み、これを制止しようとする理事、病院職員らを押しまくり管理当直室(急患の受付、電話交換、その他病院の警備保安業務を行なう部屋)の電話交換台の前まで押し込んだ。そして押し込みながら申請人A、同Sおよびその支援グループは病院内乱入の制止にあたつていた被申請人理事らに対し罵言雑言をあびせて激しい暴力を揮つた。たとえば申請人Aとその支援グループ中の二、三名が前の方で制止にあたつていた病院職員三宅を出入口の外に引きづり出し、乱入集団の先頭付近にいた者が、病院職員らに対し横腹を小突く、向う脛を足で蹴り上げる、胸倉をつかんで引つ張る、頭髪をつかんで引つ張ろうとする等の暴行を加えた。さらにその混乱の中で転倒させられ、廊下の床にうづくまつている被申請人理事長中西に対し、その腰付近を数回にわたり踏みつけたり、蹴りつけるという破廉恥で悪質な暴行を加えた。とくに申請人Sはその際三回にわたつて膝を腰付近の高さまで上げ床に倒れている右中西理事長の腰部を力いつぱい踏みつけた。この暴行により同理事長は加療一〇日間を要する腰部挫傷の傷害を負つた。また右乱入集団の一員である古川は、病院職員三鼓秀雄に対し左手をつかんでねじあげる暴行を加えこれにより同人に対し加療五日間を要する左手関節捻挫の傷害を負わせた。

その後、病院側からの連絡により警察官がかけつけてからは、激しい暴力はおさまつたが乱入グループはなおも理事らの退去要求を無視して、院内から退去せず、口々に大声を張り上げて、理事らの悪口雑言をとばし続けた。そして乱入グループの一員である伊藤は医事課前の廊下の長椅子の上にあがつて「浅間山荘の国民的英雄に続け」(いわゆる「連合赤軍」の浅間山荘事件のこと)とか「三萩野病院を革命の拠点にする」などという演説を長々と続け、手拳をもつて同課の窓ガラスを叩き破つた。またそのころも、申請人Sは前記三鼓職員に対し、土足でその左大腿部に飛び蹴りを加えるという兇暴性を発揮した。

こうして、右乱入グループは午後三時四〇分頃ようやく引揚げて行つた。

翌二月二八日午前八時五〇分頃、申請人T、同K、同Yを先頭にして、そのうしろに申請人A、同Sおよび前日と同様の支援グループが続き、一団となつて職員通用門の前におしかけた。その時病院側では前日と同様の乱入事件が発生することを予想して、同出入口のドアを内側から鍵をかけていたのであるが、病院の勤務医師である申請人T、同K、同Yの三名が先頭になつてドアを開けるよう求めたので同申請人ら三名だけを病院内に入れるためやむなくドアを開いたところ、同申請人ら三名を先頭に、申請人A、同S、および支援グループまで出入口から入り込み、しばらくの間一団となつて制止する職員らを押しまくり、午前九時一〇分頃、被申請人理事が申請人T、同K、同Yに対し、診療開始時刻が過ぎた旨告げると、同申請人ら三名は、病院内に入ろうとしたが、支援グループらもこれに続いて中に入ろうとして押し込んでくる状態であつた。そして同申請人ら三名が、その場から病院内へ立去つた後も、午前一〇時三〇分頃まで押し合いが続いた。そして、同日午後一時三〇分(午後の診療開始時刻)頃になると、再び申請人T、同K、同Yを先頭に午前中と同様のグループが一団となつて職員通用門におしかけ、同申請人ら三名以外の集団の乱入を制止しようとする職員らを押しまくり、職員らは病院内の電話交換台の前付近まで押し込まれ、申請人Aは病院の二階の看護婦詰所内まで入り込み、また同N、同Sは第一病棟詰所まで入り込み、支援グループの仰木、伊藤、古川らは外来患者待合室まで入り込み、ビラを配つたりした。そして申請人Aは職員通用門から乱入しようとして職員らに制止されている時、携帯マイクを持ち、スピーカーのボリュームを上げて二〇分間にわたりわめきたてた。

そして翌二月二九日以降は、三月七日福岡地方裁判所小倉支部の申請人A、同S、同Nに対する病院敷地内への立入禁止仮処分命令が発せられた後もなお、三月二〇日頃までの間、日曜日を除き連日午前と午後病院の診療開始時刻に合わせて申請人A、同S、同N及び支援グループは病院に押しかけ職員通用門から病院内に乱入しようとし、これを制止する病院職員らともみ合い、被申請人理事、病院職員らに対し、罵言雑言をあびせるという混乱状態が続いたが、その際、申請人T、同K、同Yは、毎回必ずといつてよいほど三名そろつて病院内に乱入しようとするグループの先頭に立ち、これと一団となつて被申請人理事らが診療業務につくよう指示するまで同グループと行動を共にし、また右乱入グループに対する病院職員の制止を妨害した。そしてその間の二月二九日午前九時頃申請人Aと支援グループの伊藤は職員通用門から乱入しようとして職員らによつて制止されている集団から一時難れて病院正面玄関にまわり、「開けろ、開けろ」と大声で叫びながら、同玄関のガラス戸を強く叩き、右ガラスを破つてこれを開き、病院内に乱入したり、同日頃申請人Sらが病院内の待合室に入り込み携帯マクイを用いて大声で演説したりした。

また、三月一三日申請人Sが公務執行妨害罪の現行犯で警察官に逮捕されて連行される際、申請人Yは病院内から白衣のまま飛び出し警察官に対して体当りをし、殴る蹴る等の暴行を加えた。

こうした一連の集団的な病院内乱入と暴力行為等(申請人らはこれを「就労闘争」と称しているのであるが)は、二月二七日被申請人理事長名で出された立入禁止の告示はもちろん、三月七日に発せられた前記仮処分命令を無視した不法なものであることはもちろん、職員通用門から集団で乱入しようとしこれを制止する病院職員らともみ合い、大声をあげること一つをとつてみても本来診療の場として常に静穏を保つことが不可欠な病院の秩序を著しく侵害し、患者及びその診療業務に携わる病院職員に多大の不安動揺を与え病院の業務をはなはだしく阻害するものであることはいうまでもなく、こうした行動を連日にわたり間断なく続けること自体医療そのものに対する敵対破壊であるといつても過言ではない。

これは「良心的医療」を云々する以前の申請人らの医師としての適格性が疑われる行為である。

これらの一連の病院内への乱入は、連日午前、午後とも毎回にわたつて申請人T、同K、同Yの診療開始時刻に合わせ、同申請人ら三名が先頭になり後方にその余の申請人らと支援グループが続き、一団となつて職員通用門に押しかけるところから始まつており右申請人Tら三名に対しては他の者達と一緒にくるのはやめるよう何度も注意したにもかかわらず、これをやめないのであるから同申請人ら三名の右のような行動はそれ自体あらかじめ、相互に意を通じたうえでの組織的計画的行動であることは明らかであり、しかも右申請人Tら三名の申請人は理事らが診療業務につくよう命令するまで、乱入集団の先頭に位置して、病院側職員らと対峙し、その職員らが後続部分の乱入を制止することを妨害しているのであるから、同申請人ら三名は乱入グループと共謀のうえ、その病院内への侵入を先導し、援助し、病院側の自衛措置としての排除、制止を困難にするというきわめて悪質、陰険な役割を果したというべきである。ちなみに当時池永事務部長が申請人Tに対し「A、S、Nについては、仮処分の申請をしているのだからその解雇の当否については法廷で争い病院内では患者や看護婦をはじめ多くの婦女子もいることだし荒つぽいことはやめようじやあないか」と要請したところ、同申請人は「裁判なんてまやかしであんなもので救われるとは思つていない。だからここの現地で実力闘争をやるんだ。」と答えて、右要請をはねつけた事実がある。

申請人らは、「二月二七日申請人Tが主治医となつていた患者の柏木某が大量に下血したとの連絡が病院からあり同申請人が緊急外科手術の必要も考えられるため申請人Sを同行して病院にかけつけたところ、ピケ要員に阻止され申請人Sと一緒には入れないとの理由で阻止され、申請人Tのみしか院内立入りが認められなかつたので、この患者無視の行動にいきどおりを感じ抗議した申請人K、同Y、同A、同Nらと右ピケとの間でもみ合いがあつたまでである」と主張するが前記疎明によると、当日病院の方から申請人Tに柏木某の容態急変の連絡をした事実はなく、連絡があつたとすればそれは同申請人の方から病院内の誰かに症状を問い合わせたことしかありえない。そして、当日の柏木某の症状がわざわざ同申請人が病院にかけつけるほどのものであつたかどうか疑わしいが、その点はともかくとして、緊急外科手術の必要も考えられたから申請人Sを同行したという言い分はそれ自体病院内乱入の口実にすぎないのではないかと疑われる。なぜなら同日(休日)は外科の小野医師が当直であり、同医師が病院内にいたのであるから、申請人Sを連れてくる必要は全くなかつたといわざるをえないからである。休日に容態急変の知らせを受け、病院にかけつけたというのであるから、この日の当直医が誰であるかを医師たる同申請人が知らなかつたはずはない。しかも、申請人Sだけでなくその余の申請人や外部支援グループまで引き連れ二〇数名と一団となつて職員通用門に殺到したのであるから、申請人らの前記弁解は認め難い。

真に患者の容態急変を心配してかけつけるのなら一人で真先きに患者のところに飛んで行くべきであり、混乱が生ずることが当然予想される解雇医師らや支援グループと行動を共にし、申請人Sを病院内に入れることにこだわることはないはずである。要するに申請人らはあらかじめしめしあわせたうえ医師としての地位を悪用し、患者を利用し、病院内への集団的、暴力的乱入を組織したものにほかならず、医師として恥ずべき行為を敢てした責任は重大であるといわなければならない。

なお被申請人理事、病院職員らは申請人らが支援グループと共に一団となつて職員通用門に押しかけてきたのでいつたんこれを阻止したうえ、申請人Tの言を聞き、同申請人を病院内に入れその他の者の乱入を認めなかつたことが明らかであり、これはきわめて当然の措置である。

また申請人らは被申請人側が申請人A、同N、同Sを解雇した際、患者引き継ぎをさせなかつたと主張するが、証人浜田勝憲の証言によると、二月二六日中西理事長が、他の理事同席のうえ申請人A、同Sに対し、同日限りで解雇する旨を通告した際、外科の申請人Sは小野医師に、内科の申請人Aは福山院長に、それぞれ引き継ぎをするよう指示し、同月二八日には申請人Nに同様の指示をしており、これに対し、同申請人らは引き継ぎを全くしないまま病院外に立ち去つたものであり、その後引き継ぎを申し出て病院内に立入を求めた申請人は一人もいなかつたことが明らかである。

2  無届早退・欠勤

申請人K、同Yがいずれも昭和四七年五月一三日午後一時から無届で早退し、病院外の集会に参加したこと、申請人Yが同月二二日、同Kが同月二三日、同Tが同月二四日にそれぞれ無届欠勤をし、久留米市の三西化学工場による農薬公害の集団検診に参加したことはいずれも当事者間に争いがない。そして右五月二二日以降の同申請人らの無届欠勤は、同月一三日の申請人K、同Yの無届早退についての理事長の同月一六日付の文書による警告の直後にこれを無視して院長に対する口頭による届出もなく、申請人らの勝手な判断で行なわれたものであることは申請人らにおいて明らかに争わないから、自白したものとみなす。そうすると右無届欠勤は理事会と病院の管理体制に対する重大な挑戦ともみられる所業であつて情状は重いというべきである。

申請人らは、当時医師については欠勤早退の届を出すことはなされていなかつたのであり、別に問題にもならなかつたのであるから申請人らの右無届早退、欠勤だけをとらえて問題にするのは申請人らに対する悪意に満ちた中傷である旨主張するが、仮に現実の勤務手続が医師についてはルーズであつたとしてもそれはもともと医師の勤務態度について高度の信頼がおかれていることからくるものであつて被申請人が右申請人らの勤務態度に関し信頼をなくし警告まで発した直後に、あえて再び無届欠勤を行ない、院長に対する口頭の連絡すらしないなどということは医師として重大な任務懈怠であり、問題視されるのは当然であるというべきである。

また申請人らは久留米市の農薬被害の集団検診に参加したことにつき、地区労病院のたえまえとして、この種の検診に出席することは当然と考えていたから残りの二医師(申請人ら)に院内の診療は十分依頼して行つたと主張するが、仮にそうであつたとしても、前記のような事情からすれば、それをもつて右無届欠勤を正当化する理由にはならないというべきである。

3  診療拒否、当直拒否

申請人T、同K、同Yが、昭和四七年三月一四日以降六月一六日までの間、既に解雇されている申請人A、同N、同Sを含めた当直表を作成しこれに基いて当直勤務を行ない、被申請人理事会と病院長が作成した当直表に基づく当直勤務を行なうことを拒否し、更に同月一七日以降同年七月一二日までの間業務命令によりあらかじめ命じられていた当直勤務を全面的に拒否し、申請人Yが同年三月六日、同Kが同月二九日にも、それぞれ、あらかじめ命じられていた当直勤務を拒否し、申請人T、同Y、同Kが同月二七日から同月二九日までの三日間いずれも外来診療を拒否し、もつてそれぞれ医師としての勤務を放棄したことは、当事者間に争いがなくあるいは申請人らにおいて明らかに争わないから自白したものとみなす。

ところで申請人ら、は申請人ら病院勤務医師には当然には当直勤務をすべき義務がない、また六月一七日以降の全面当直拒否は正当な争議行為であると主張するので検討する。

(1) 申請人らの当直義務について

医療法一六条は病院管理者の義務として、管理者は病院に医師を宿直させなければならない旨規定するが、これは個々の勤務医師に当直義務を課したものでないことは明らかである。しかし医師が病院開設者と、常勤医師としての雇傭契約を締結した場合においては、同法条を前提として医師と病院開設者の間において、医師が病院内では、その専門的知識と能力に基き患者に対する診療につき全面的に責任を持つことの合意が成立したことに外ならず、契約締結の際に当直をしないとの特別の合意がなされないかぎり、勤務医師は雇備契約それ自体から当直をすべき契約上の義務を負担するものであつて、特に就業規則等を必要としないと解すべきである。本件においては申請人らが被申請人に常勤医師として雇傭される際、当直をしないという特段の合意をしたことを認めるに足りる疎明はなく現に申請人らは、採用以来、前記当直拒否をするまでは継続して当直勤務に服していたのであるから、その義務があることは明らかである。

しかも、被申請人の就業規則が申請人ら医師にも適用されるものであることはその規定の仕方上明らかであるところ、<証拠>によると、同就業規則四二条ないし四四条は業務上必要な部署に所属長が当直をさせ、当直の割当は所属長が定める旨規定していることが明らかであるから、この点からも原告らが当直義務を負担することは、明白である。

(2) 当直拒否の争議行為としての正当性

病院等に雇傭される医師も労働組合法上の労働者であることは明らかであるから、労働組合を組織して、目的および手段の面において正当な範囲内のものである限り、争議行為をなしうることは疑いがなく、右の争議行為には診療放棄及び当直拒否が含まれると解すべきであるが、診療業務の特殊性を論ずるまでもなく、患者の生命、身体の安全を脅かし、患者の病状に相当の悪影響を及ぼすような行為は、労働関係調整法三六条類似の特別の立法の有無にかかわらず、争議行為としてもなし得ないことは、条理上当然であるといわなければならない。治療の停廃も、それがある程度の期間継続すれば患者の病状は悪影響を及ぼすことがあり、また病状の変化は必ずしも予測を許さないものであるから、医師ら病院の従業員が争議行為を行なうにあたつては、予め患者の生命、身体の保全に遺憾なきを期するとともに、患者の身体、精神の回復をはかるべき病院の使命に対する管理者側の真摯な努力にもかかわらず、緊急事態発生の客観的危険性が現われた場合には、その善後措置に協力すべき義務があるというべきであり、この保全の措置を怠りまたはこの協力義務に違反すれば、争議行為は、正当性の範囲を逸脱するものとして違法性を帯びるに至ると解すべきである。

これを本件についてみるに、<証拠>を総合すると、申請人T、同K、同Yは昭和四七年三月一四日以降六月一六日までの間、当時既に解雇され病院敷地内への立入禁止仮処分命令の発せられていた申請人A、同N、同Sをも含めた七名の医師による独自の当直表を作成して院長に提出したうえ、理事長、院長による再三にわたる右申請人Aら三名を除いた他の四名による当直の業務命令を無視し、自ら作成した独自の当直表に基いた当直勤務にしか応じなかつたため、その間の九四日間に福山院長は通算三八日間という当直勤務を強いられたうえ、六月一七日からの全面当直拒否は約一ケ月間も続けられ、その間福山院長は殆んど連日当直勤務を強いられたために、肉体的、精神的に疲労困憊し、しかも腰痛まで起したのであつて、このような院長の当直勤務の連続はもはや、肉体的精神的限界を越え、院長自身がいつ倒れるかも知れない状態となり、患者に対しては責任をもつて診療にあたることも困難となり、患者の生命、身体に重大な危険をおよぼすかも知れない状態となつたにもかかわらず、申請人らは、これに協力しないのみかその支援グループとともに、当直拒否の代替として、被申請人が応援を依頼したパートの当直医に対して、三萩野病院に当直医として行くことを断念させるために、再三にわたり執拗にその私宅まで押しかけて脅迫し、近隣に誹謗中傷のビラ貼りやニュースカー宣伝を行なつたり、脅迫電話をかけるなどして、徹底した嫌がらせを行ない、しかもそのような事実が医師の間に知れわたつたため被申請人による当直医の確保を極度に困難にしたことが一応認められるのであつて、申請人らのこのような常軌を逸した行為のために病院の診療業務は阻害され、患者に対する責任ある診療体制の維持はほとんど不可能となり、これが患者の生命、身体の安全を脅かし、患者の病状に相当の悪影響を及ぼしたことは明らかであり、しかもその方法も福山院長個人を精神的肉体的にまいらせて、自己の要求を貫徹しようとする悪質陰険なものであることが一応認められ、<証拠判断省略>。そうすると六月一七日以降の当直拒否は全体として正当性の範囲を逸脱した違法のものといわざるを得ない。なお、申請人らは被申請人の医師労働組合との交渉拒否を主張するが、<証拠>によると、昭和四七年四月七日「医師労働組合委員長Y」の名による交渉申込みを受けた被申請人理事会は、「医師労働組合」なるものとの交渉となれば、結局申請人らが全員が交渉の席に出て来る事となり前記のような二月二七日以降の申請人A、同S、同Nおよび支援グループの病院乱入と集団暴力の経過(理事長自身が申請人Sより足蹴りにされるなど)からして到底正常な話合いは期待できず、不測の事態も起りかねないとの判断から場所を病院内として申請人T、同K、同Yとなら話し合うと返答したのであつて、交渉自体を拒否した訳ではなく、申請人らがこの条件を受け入れなかつたため交渉は行なわれなかつたことが一応認められ、<証拠判断省略>。

右「医師労働組合」が労働組合の実体を有するものとしても、理事会の返答は、単に交渉の場所と出席者を指定したにすぎないものであり、前記のような状況から判断して、この指定は決して不当なものではないというべきであるから、理事会の不当な交渉拒否というのはあたらない。従つて被申請人の不当な団交拒否があつたとの理由からでも前記のような「争議行為」を正当化することは出来ない。

また、前叙三月二七日から二九日までの外来診療拒否についても、前記疎明によると、この外来診療拒否は、その前日に至るまで労調法上の事前手続はもとより被申請人に対する通告すらなされず、また事前に交渉の申入れもなければ要求もなく突然行なわれたものであり、被申請人としては代替医師を手配して外来診療体制を確保することなど全く不可能であつたことが明らかである。

もとより同法三七条違反の争議行為が当然に違法不当であるとはいえないとしても、本件外来診療拒否は、前記三月一四日以降の一連の状況の中で之を考察すると、全体として争議権の範囲を逸脱した違法なものといわざるを得ない。

4  以上1ないし3の事実は之を総合するまでもなく、そのいずれもが、市井無頼の徒の所業と異ることなく病院従業員としての品位を疑わせるに充分であり、就業規則一五条一項八号の「従業員を解職するに足る重大な事由」に該当する。しかして<証拠>によると、所定の解職手続をとつていることが一応認められるから、申請人T、同K、同Yに対する第二次解雇が有効であることは明らかである。

二申請人らは、本件第二次解雇は解雇権の濫用であるから、無効であると主張する。

然し乍ら前認定のとおり、昭和四七年二月二七日以降第二次解雇までの申請人T、同K、同Yの言動は、医師である前に人間として常軌を逸した行動と評する外はないのであつて同申請人らに対する第二次解雇はいずれもまことに相当であつて、何ら違法不当な廉はない。

他に本件疎明による第二次解雇が解雇権の濫用に亘ることを認むべき疎明はない。

三申請人らは、本件第二次解雇は、一旦確保された医師の員数を医療法および同施行規則の要求する基準員数より下回る員数とする違法行為であり、民法九〇条により無効であると主張するが、右主張は、申請人Aらについて前述(第二の三)したと同一の理由により採用しない。

四申請人らは、第二次解雇は、反対の予想される原功、上野博郷両理事に通知なく開催された寄付行為違反の理事会により決議されたものであるから、違法無効な解雇であると主張する。本件第二次解雇を決議した理事会の開催にあたり、右両理事に対する招集通知を欠いたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によると、昭和四七年二月二六日の第一次解雇以来、病院内乱入や申請人T、同K、同Sの当直拒否、診療拒否により三萩野病院の診療態勢は混乱し、外部から当直医としての応援を求めて診療態勢を確保する必要があるに拘らず、申請人Tら三医師が院内にいるかぎり、その確保ができないので、同年七月一三日の理事会で、前記二名の理事を除いた八名の理事が出席してその金員で右申請人Tら三名の出勤停止を決議した。その際、解雇の意見も出たが、一応様子をみるということでこれを留保し、その前段階としての出勤停止にとどめたが、その後も依然として診療態勢は混乱したので、この際医療態勢を整えることとし、外部の医師にも、右申請人Tら三医師を解雇すれば三萩野病院に勤務してもよいという医師がいたので、右申請人Tら三医師を解雇することとし、前記二名理事を除いた八名の理事が出席した同年八月九日の理事会において全員一致で第一次解雇を決議したことが明らかであつて、その間原、上野両理事の理事会に対する態度や意向は第一次解雇当時となんら変りのないことが窺えるのであるから、右理事会に原、上野二名の理事が出席していても、その決議の結果には全く影響がなかつたというべきであるところからすれば、前記招集手続の瑕疵は右決議の効力に影響を及ばさないこと、前叙(第二の四)と同一であり、この点の申請人らの主張も失当である。

五申請人らは、本件第二次解雇は、第一次解雇後になした申請人らの医師労働組合としての一連の争議行為に対する弾圧であつて、不当労働行為であり、無効であると主張する。

然しながら前認定のように、第一次解雇後の申請人らの当直拒否、診療拒否等の行為はいずれも争議行為としての正当性の範囲を逸脱した違法のものであること明らかであり、しかも第一次解雇は既に認定したように正当なものであるから、第二次解雇はなんら不当労働行為を構成するものでないというべきである。

また、申請人らは、被申請人が団体交渉に応じなかつた旨主張するが、前認定のように、被申請人は団体交渉を拒否したものではないこと明らかであるから、この点もなんら不当労働行為となるものではない。

その他本件全疎明によるも、被申請人の不当労働行為の存在を認めるに足りる疎明はない。

第四結論

以上説示のとおり、申請人らに対する解雇はいずれも有効であり、それが無効であることを前提とする申請人らの本件仮処分申請は、すでにその前提において失当であり、従つて、保全の必要性について判断するまでもなく、被保全権利なきものとしてこれを却下すべきであるから、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(鍋山健 内園盛久 横山敏夫)

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